京都の床屋さんは角地に多いです。
京都の理髪店の約半数が角地にあるそうです。
江戸時代の京都は町ごとに分けられていました。
四つ辻(角地)には町と町との境界となる木戸門があり、夜になると防犯のために閉じられ、
町と町の間を自由に行き来することができませんでした。
木戸門には番人が常駐しており、門を閉ざした後も門限に間に合わなかった町人や、
急を要する者(火消し、医者、産婆 等)の出入りの番をしていました。
番人は給金で雇われ、門に隣接した番小屋に常駐していましたが、仕事も忙しいものではなく、
給金も安かった為、番小屋で副業を始めるようになりました。
その副業として人気があったのが髪結いでした、髪結いは狭い番小屋の中での営業に適していました。
明治になり、木戸は廃止されましたが、木戸番の床屋は残りました。
このような経緯で現在も理髪店の多くが角地にあるというわけです。